2008年09月29日
命日
今日は、父の命日です。
亡くなって25年もたちました。
突然逝ってしまった父との思い出は、あまりありません。
記憶にあるのは小さい頃。
私の席はいつも父の膝のうえでした。
末っ子だったのでかわいがってくれていたのでしょう。
その大きな椅子が笑うたびに揺れて、
目の前の、大きな手に持っているタバコの灰が落ちないように
見張っているのが私の役目でした。
そして中学に入るころにはお互いの生活で忙しく、
家でもほとんど顔を合わせずに暮らしていて、
そのまま本当に家族の生活の中からいなくなってしまいました。
当時の、周りの大人たちの話を聞いて察するに、
社会人としても一番ノッていたらしい充実期に、ぽっこりと。
それでも、会社は普通に、周りの人間も普通に、
今までどおり まわっていきました。
人はいつか 死んでしまうんだ
と、そのときに 心に刻みつけられたのか、
物事への執着心はあまりないまま ここまできてしまいました。
長期的展望や計画性なんか持たず、ただただ
今、必要なもの 今、必要なこと 今、できること 今、楽しいこと
だって、来年はもう ないかもしれないから。
老後の蓄えをはやくから備えようとする主人とは対照的です(笑)
でも確かなことは、両親のおかげで私の 今 があります。
感謝しています。
亡くなって25年もたちました。
突然逝ってしまった父との思い出は、あまりありません。
記憶にあるのは小さい頃。
私の席はいつも父の膝のうえでした。
末っ子だったのでかわいがってくれていたのでしょう。
その大きな椅子が笑うたびに揺れて、
目の前の、大きな手に持っているタバコの灰が落ちないように
見張っているのが私の役目でした。
そして中学に入るころにはお互いの生活で忙しく、
家でもほとんど顔を合わせずに暮らしていて、
そのまま本当に家族の生活の中からいなくなってしまいました。
当時の、周りの大人たちの話を聞いて察するに、
社会人としても一番ノッていたらしい充実期に、ぽっこりと。
それでも、会社は普通に、周りの人間も普通に、
今までどおり まわっていきました。
人はいつか 死んでしまうんだ
と、そのときに 心に刻みつけられたのか、
物事への執着心はあまりないまま ここまできてしまいました。
長期的展望や計画性なんか持たず、ただただ
今、必要なもの 今、必要なこと 今、できること 今、楽しいこと
だって、来年はもう ないかもしれないから。
老後の蓄えをはやくから備えようとする主人とは対照的です(笑)
でも確かなことは、両親のおかげで私の 今 があります。
感謝しています。
投稿者 ひらめ 18:51 | コメント(2)| トラックバック(0)
なんとなく世代が近そうで、身近に感じて時々(←「いつも」でなくてスミマセン)
こっそり訪問させてもらってました
私も父を中3で突然の心筋梗塞で亡くしました
読んでいてなんとなく「おなじ~」と思ってコメントしてます
私もなんだかんだで年は過ぎ、父の年齢と並びました
ただいま我が家の長男は中2
こんなノー天気な子供残して・・・なんてことも考える間もなく、父は逝ってしまいました
突然のほうが残された家族にはいいのかもしれません
かわいそうな姿を思い出さずに済むだけでもずいぶん救われたと思います
コメントありがとうございます。
自分や自分の家族が、その頃の年齢に近づいていくと、
いろいろと思うところも出てくるのでしょうね。
母は、「お父さんの歳を過ぎたらきっと私も終わるのね」なんて
いってたくせに、その後もしぶとく人生を謳歌しています(笑)
今度お邪魔させていただきますね。